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弁理士、1級知的財産管理技能士であるGolferPAが、弁理士試験、知的財産管理技能検定試験の合格を目指す方々にとって有益な情報をご提供します。新司法試験の論文式試験(選択科目:知的財産法)を受験される法科大学院の方々にもお役に立てると思います。また、知財・弁理士の実務関連についても情報展開していきます。更に、ちょっとした書評もお伝えします。
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民法のみかた -- 『基本民法』サブノート
4641135746 民法のみかた -- 『基本民法』サブノート
大村 敦志
有斐閣 2010-06-23

お薦め度 by GolferPA
試験用 ★★☆☆☆
実務用 ★☆☆☆☆

弁理士付記試験の関係で読んでみました。

サブノートと題されているように、内容はレジュメ的です。

ある程度、民法を勉強された方でないと、何が書いてあるのか、さっぱりわからないと思います。

逆にいうと、民法を勉強された方が、全体をさっと復習するために、本書をガイドライン的・レジュメ的に使う、という感じになると思います。


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知財高裁 人事情報 
 8月21日に知財高裁の塚原所長が定年退官され、知財高裁2部の部総括をされていた中野哲弘裁判官が新たに所長に就任されました。

【人事】最高裁

最高裁人事(21日)知財高裁所長(知財高裁部総括判事)中野哲弘▽知財高裁部総括判事(大阪高裁部総括判事)塩月秀平▽大阪高裁部総括判事(松山地裁所長)小島浩▽松山地裁所長(福岡高裁那覇支部長)河辺義典▽福岡高裁那覇支部長(広島高裁判事)橋本良成▽定年退官 知財高裁所長塚原朋一

これに伴い、中野新所長が1部の部総括に、2部の新部総括には、塩月裁判官が就任されるようです。


これまで中野裁判官(旧2部)が担当されていた事件に私のほう関わらせていただいているのですが、裁判長が結審後、判決前に異動になられたので、新たに就任される塩月裁判長がどのような判決に持っていくのか、気が気でなりません。


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平成22年度弁理士試験論文受験者統計(必須)(選択)
 以下が特許庁HPにて公開されました。

○ 平成22年度弁理士試験論文(必須)受験者統計 <PDF>

○ 平成22年度弁理士試験論文(選択)受験者統計 <PDF>


これによれば、論文(必須)受験者のほうの平均受験回数は4.78回(実際は初回分を足して5.78回)と、前年の4.59回(5.59回)に比較し微増しています。
また、平均年齢も38.8歳→39.4歳と微増です。

ところで、論文(選択)受験者の平均受験回数は5.32回(6.32回)となっているところからすると、やはり、選択免除のほうが受かりやすいということになります。
来年以降の受験生の方々は今のうちに選択免除のための対策に取り組んでおいたほうがよいと思います。
(これからでも間に合う免除対象の資格試験もあると思います。)

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専門訴訟大系2 知財訴訟
4417015104 専門訴訟大系〈2〉知財訴訟 (専門訴訟大系 第 2巻)
久保利 英明
青林書院 2010-05

お薦め度 by GolferPA
試験用 ★★☆☆☆
実務用 ★★★☆☆

付記試験向けの勉強材料として読んでみました。

ページ数の関係からか、一部、記載が浅い部分のみになっているところがありますが、それらの勉強は他の詳しい専門書に任せるとして、知財訴訟関係の事項について全体を短時間に概観する目的に適していると思います。


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動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
4863240120 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
福岡 伸一
木楽舎 2009-02-17


先日、ある技術セミナーに参加した際に、パネリストとして登壇されていた分子生物学者の福岡伸一・青山学院大学教授が面白い人だったので、その著書を読んでみることにした。
 
福岡教授は、動的平衡の状態にある人間の記憶について以下のように説明している。
 
私たちが鮮烈に覚えている若い頃の記憶とは、何度も想起したことがある記憶のことである。あなたが何度もそれを思い出し、その都度いとおしみ、同時に改変してきた何かのことなのである。
ではいったい記憶とは何だろうか。細胞の中身は、絶え間のない流転にさらされているわけだから、そこに記憶を物質的に保持しておくことは不可能である。それはこれまで見てきたとおりだ。ならば記憶はどこにあるのか。
それはおそらく細胞の外側にある。正確にいえば、細胞と細胞とのあいだに。
 
私たちが今、この目で見ている世界はありのままの自然ではなく、加工され、デフォルメされているものなのだ。デフォルメしているのは脳の特殊な操作である。・・・ことさら差異を強調し、わざと不足を補って観察することが、・・・長い進化の途上、生き残るうえで有利だったからだ。
 
ずっと忘れていたにもかかわらず、回路の形はかつて作られた時と同じ星座となってほの暗い脳内に青白い光をほんの一瞬、発する。
たて、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が、合成と分解を受けてすっかり入れ替わっても、細胞と細胞とが形作る回路の形は保持される。
いや、その形すら長い年月のうちに少しずつ変容するかもしれない。しかし、おおよその星座のかたちはそのまま残る。
 
分子レベルにおいては、常に生まれ変わっている我々の身体において、忘れない記憶はどのように「記録」されているのか、その仕組みを垣間見ることができた。ただ、この分野は未知のことが多く、現在も研究が進んでいるようなので、今後の研究成果の発表に期待したい。
 
「体調や肌の調子が悪いのには何かが不足しているからだ。だからそれを補給しなければならない」―私たちはしばしばこのような欠乏の強迫観念にとらわれがちである。
最近、よく宣伝されているものにコラーゲンがある。コラーゲンを添加された食品の中には、ご丁寧にも「吸収しやすいように」わざわざ小さく細切れにされた「低分子化」コラーゲンというものまである。
コラーゲンは、細胞と細胞の間隙を満たすクッションの役割を果たす重要なタンパク質である。肌の張りはコラーゲンが支えているといってもよい。
ならば、コラーゲンを食べ物として外部からたくさん摂取すれば、衰えがちな肌の張りを取り戻すことができるだろうか。答えは端的に否である。
食品として摂取されたコラーゲンは消化管内で消化酵素の働きにより、ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される。コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質である。消化できなかった部分は排泄されてしまう。
一方、吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。
しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料とはならない。むしろほとんどコラーゲンにはならないと言ってよい。
なぜなら、コラーゲンを構成するアミノ酸はグリシン、プロリン、アラニンといった、どこにでもある、ありきたりなアミノ酸であり、あらゆる食品タンパク質から補給される。また、他のアミノ酸を作り替えることによって体内でも合成できる、つまり非・必須アミノ酸である。
もし、皮膚がコラーゲンを作り出したいときは、皮膚の細胞が血液中のアミノ酸を取り込んで必要量を合成するだけ。コラーゲン、あるいはそれを低分子化したものをいくら摂っても、それは体内のコラーゲンを補給することにはなりえないのである。
食べ物として摂取したタンパク質が、身体のどこかに届けられ、そこで不足するタンパク質を補う、という考え方はあまりに素人的な生命観である。
 
ついでに言うと、巷間には「コラーゲン配合」の化粧品まで氾濫しているが、コラーゲンが皮膚から吸収されることはありえない。分子生物学者の私としては「コラーゲン配合」と言われても「だからどうしたの?」としか応えようがない。
もしコラーゲン配合の化粧品で肌がツルツルになるなら、それはコラーゲンの働きによるものではなく、単に肌の皺をヒアウロン酸や尿素、グリセリンなどの保湿剤(ヌルヌル成分)で埋めたということである。
私たちがこのような健康幻想に取り憑かれる原因は何だろうか。そこには「身体の調子が悪いのは何か重要な栄養素が不足しているせいだ」という、不足・欠乏に対する強迫観念があるように思える。
そして、その背景には、生命をミクロな部品が組み合わさった機械仕掛けと捉える発想が抜き差しがたく私たちの生命観を支配していることが見て取れる。
健康を、強迫観念から解放し、等身大のライフ・スタイルとして取り戻すためには、私たちの思考を水路づけしてきた生命観と自然観のパラダイム・シフトが必要なのである。
 
この説明にも驚きを隠せなかった。これが本当であれば、巷に溢れかえっている健康商品・化粧商品などの位置付けはどのようになるのだろうか。
この福岡教授の考え方にはいろいろと異論があるようだが、福岡教授の説明を素直に聞いている限り、真実のような感じを受ける。
 
普通、ある種の生物に感染できる病原体は、別の種を宿主とすることができない。鍵が合わないからである。・・・ヒトの病気はヒトにうつる。ヒトを食べるということは、食べられるヒトの体内にいた病原体をそっくり自分の体内に移動させることである。その病原体はヒトの細胞に取りつく合鍵を持っているのだ。だから、ヒトはヒトを食べてはならない――。
 
この説明も面白かった。関心した。ヒト(生物)が自然と行っていること、本能的に行っていることにはやはり意味が存在するのだろう。
 
私たちの生命を構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあるという画期的な大発見がこのときなされたのだった。まったく比喩でなく、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちが食べ続けなければならない理由は、この流れを止めないためだったのだ。そして、さらに重要なのは、この分子の流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保っているということだった。個体は、感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかないのである。
 
生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子に置き換えられている。・・・だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
 
これだけ機械社会になると、人間や生物の身体も機械論的に考えがちであるが、それを抑えるような考え方です。純粋な生物学者ならではの考え方といえるかもしれない。
 
新たなタンパク質の合成がある一方で、細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っている。・・・合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。
 
ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。 そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。
 
生命とは、構造ではなく、効果である。至極納得です。例えば、小石も人間も、原子や分子が集まっているだけなのに、活動の有無が存在するのは、まさしく、構造にミソがあるのではなく、効果の部分に差異があるからなのです。
この説明は、私自身の生命観を大きく変えたように思います。
 
総じて、この本は読んでよかったです。久しぶりに刺激的な本に出会えた感じがします。
みなさんもぜひ読んでみてください。


 

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生物と無生物のあいだ
4061498916 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
福岡 伸一
講談社 2007-05-18


先日、ある技術セミナーに参加した際に、パネリストとして登壇されていた分子生物学者の福岡伸一・青山学院大学教授が面白い人だったので、その著書を読んでみることにした。
 
福岡教授は、生命の姿について以下のように述べている。
 
生物が生きている限り、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。
 
肉体というものについて私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子レベルではその実感は全く担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。断食した場合、外部からの「入り」がなくなるものの、「出」は継続される。身体はできるだけその損失を食い止めようとするが「流れ」の掟に背くことはできない。私たちの体のタンパク質は徐々に失われていってしまう。したがって飢餓による生命の危機は、エネルギー不足のファクターよりもタンパク質欠乏によるファクターの方が大きいのである。エネルギーは体脂肪として蓄積でき、ある程度の飢餓に備えうるが、タンパク質はためることができない。シェーンハイマーは言っている。《生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である》
 
生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で、動的な平衡状態を保ちえているのである。
 
よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。かつてあなたの一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。
 
これには正直驚きました。日々生まれ変わっていく姿がよく見える皮膚や髪の毛、爪などは想像できても、脳や心臓含め、自分の身体すべてが日々、流れの中にあって、常に変化し、動的平衡を保持しているとは、まったくイメージできていませんでした。
 
さまざまな分子、すなわち生命現象をつかさどるミクロなジグソーピースは、ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らって作り出される。そこでは新たに作り出されたピースとの間に、形の相補性に基づいた相互作用が生まれる。その相互作用は常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げ、動的な平衡状態を導き出す。一定の動的平衡状態が完成すると、そのことがシグナルとなって次の動的平衡状態へのステージが開始される。
この途上の、ある場所とあるタイミングで作り出されるはずのピースが一種類、出現しなければどのような事態が起こるだろうか。動的な平衡状態は、その欠落をできるだけ埋めるようにその平衡点を移動し、調節を行おうとするだろう。そのような緩衝能が、動的システムの本質だからである。平衡は、その要素があれば、それを閉じる方向に移動し、過剰があればそれを吸収する方向に移動する。
 
通常、ジグソーピースがなくなれば、その欠落状態がずっとそのまま続くと思いがちだが、生命という動的システムでは、平衡という基準に基づいて、自由自在・臨機応変に対応し、その穴を埋めていく。まったくもって神秘としかいいようがない。
 
生命現象もすべては物理の法則に帰順するのであれば、生命を構成する原始もまた絶え間のないランダムな熱運動(ここに挙げたブラウン運動や拡散)から免れることはできない。つまり細胞の内部は常に揺れ動いていることになる。それにもかかわらず、生命は秩序を構成している。その大前提として、"われわれの身体は原始にくらべてずっと大きくなければならない"というのである。平均から離れてこのような例外的なふるまいをする粒子の頻度は、平方根の法則(ルートnの法則)と呼ばれるものにしたがう。つまり、百個の粒子があれば、そのうちおよそルート100、すなわち十個程度の粒子は、平均から外れたふるまいをしていることが見出される。これは純粋に統計学から導かれることである。
では、生命体が百万個の原始から構成されているとすればどうだろうか。平均から外れる粒子数はルート100万、すなわち1000となる。すると誤差率は、1000÷100万=0.1%となり、格段に下がる。実際の生命現象では、百万どころかその何億倍もの原子と分子が参画している。
生命体が、原子ひとつに比べてずっと大きい物理学上の理由がここにあるとシュレーディンガーは指摘したのである。
 
中学生か高校生の頃に、同じような疑問をいただいたことがあって、当時はネットがなく、専門書を調べる能力・気力もなかったため、そのままに残っていたが、この話しを読んで、大きく頷いた。
ただ、「平方根の法則」については自分の中ではまだ「なぜ?」という気持ちがあるので、これから調べてみようと思います。
 
生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを“食べる”ことによって生きている。
 
生きること、死ぬこと、食べること、の生物学的な意味がよくわかる説明です。
なぜ、生物は食べ続けなければならないのか、というのは、やはり幼い頃に抱いたことのある疑問のひとつでしたが、今回、解決しました。
 
機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折り畳まれ、一度折り畳んだら二度と開く事のできないものとして生物はある。生命はどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。
 
動的平衡である生物には、不可逆な時間の流れがあり、一度折りたたんだら二度と解くことはできない。
 
機械論への反論です。このあたりはいろいろと議論があるようなのですが、私は福岡教授の考え方に賛成です。
生命とは何か、生物とは何か、を理解できるような感じがします。

総じて、この本は読んでよかったです。久しぶりに刺激的な本に出会えた感じがします。
みなさんもぜひ読んでみてください。
 

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能担研修13回目
能担研修13回目は、先週に引き続き、自宅起案2(特許法に係る訴状起案)の復習でした。

先週は侵害論の部分、今週は損害論の部分が中心でした。

それにしても、特許法102条は奥が深い。
弁理士試験受験生の頃には、田村本等で少しは知っていたものの、こんなに深い論点があるとは思いませんでした。

今後、法改正の対象にもなるんでしょうね。

次回の能坦は少し先になります。
残り、あと2回。
こうなってくると、少しさみしくなりますね。

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能担研修12回目
能担研修12回目は、自宅起案2(特許法に係る訴状起案)の復習でした。

自宅起案や宿題については添削は行われないのですが、今回は、クラスのほとんど皆の答案の一部を、スライドに映し、先生が講評されました(誰の答案かは伏せられました)。

こういう形式の講義はいいと思います。
他の受講生の方がどのような答案を作成しているのかがよくわかりますし、先生(採点者)がどのような観点で答案をチェックしているのかも理解できるからです。

私の答案も講評していただけました。幸いながら、クラスの中で「よくできた二人」のうちの一人にいれていただけたようです。よかった。
ただ、記載不備の箇所も多く、また、先生も言っておられましたが、ここで気を抜くと、本試に落ちてしまうし、また、起案のほうをがんばりすぎると小問で落ちてしまう場合もあるとのことなので、十分、注意しないといけないなと、あらためて気を引き締め直しました。


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パテントフリーゾーンに潜むチャンス
以下のニュースが出ていた。


中国は今年中に、日本を抜いて経済における世界第2位になるかもしれない。すぐ後にはインドが迫り、ブラジル、ロシアなどの国々も大きくは離されていない。これは起業家にとって何を意味しているのだろうか。つまり米国外に膨大な機会が増え続けている。しかし、殆どの人が新興国におけるもう一つの利点に気付いていない。先進経済で作られた実証済みの知的財産を、タダで活用できるのだ。米国、ヨーロッパ以外の殆どの国々はパテントフリーゾーンである ― 企業が特許を申請する際、自社製品の市場がないと考えて申請しない国々のことだ。その結果その知的財産は、これらの国で使い道を見つけた人誰でもが利用できる。
・・・
 
非常に奥の深い案件だと思う。
各国の各企業がどのように対処していくべきか、
各国の政府がどのような制度をデザインしていくべきか、
世界各国・世界各国企業が集まる場で、どのような議論を行い、何を決めていけばよいのか。
 

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起案終了
能担研修の最終起案を終えました。

起案は、「宿題」と称するものが2回、「自宅起案」と称するものが4回あり(何が異なるのかよくわからないですが)、特許法、商標法&不正競争防止法それぞれに係る訴状、答弁書or準備書面を起案するというかたちでした。

最終の自宅起案4回目の不正競争防止法の訴状起案はなかなか大変でした。
記載すべき事項が多く、また、先行事例・参考事例が少ないので、書き方に悩みました。
特に、不競法では、過失推定規定がないので、過失を主張する部分の記載にはほんと苦労しました。


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プロフィール
HN:
GolferPA
性別:
男性
職業:
企業弁理士
趣味:
ゴルフ
自己紹介:
GolferPAです。
ゴルフ好きが弁理士になりました!
これからも知財のスペシャリストになるべく、勉強続けていきます!
皆さん、よろしくお願いします。

■2008年11月
 弁理士試験合格
■2009年4月
 弁理士登録
■2011年2月
 特定侵害訴訟代理業務
 付記登録

■2008年12月
 1級知的財産管理技能士
■2005年3月
 電気通信主任技術者
 (第一種伝送交換)
お問い合わせ
BACKGROUND / tudu*uzu
DESIGN / Lenny